池田亮司[datamatics ver.2.0 完全版] @伊丹アイホール 3/13(木) 2008


佐々木敦は自身の著書「ex-music」の中でこう評している。

池田亮司によって凡百のミニマル・テクノは全て時代遅れになってしまった。

既成音楽概念を新たなフェーズに到達させたテクノイズ・ミニマリスト。現代音楽界の中でも極北を進む電子音楽家、池田亮司。彼の創り出す音は一切の人間的感情を排除したデータに依存したコンピューター上にのみ生まれる。サイン波、電子パルス音、振動波、高周波ノイズ、そして大音響のハーシュノイズが一見無秩序の集合体に見えて実は全てが計算式の上に成立している。
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そしてその音に合わせて展開される映像は、ドットとライン、数字、記号による、これもまたデータのみで構成されるモノクロームのデジタル画像。そしてそのデータの量たるや、人間の知覚可能領域を超えた尋常ではない量で構成され、人間にとってそのデータ映像を観るという行為は、一切の思考停止という状態に陥るという事と同義と言える。「量」を極めきった故に出現する崇高な「質」なのだ。
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その池田亮司の久々の新作公演となるdatamatics [ver.2.0] 完全版。フランスのジョルジュ・ポンピドゥー国立芸術文化センターと、日本の山口情報芸術センターによる共同委嘱datamaticsの完全版の関西初公演となります。

そもそもdatamaticsとは、『情報として立ち現れる膨大な知覚不可能なデータを素材として、実在の抽象的な捉え方を探求する』プロジェクトであり、2006年3月にヨーロッパでdatamatics[prototype]として初めて上演された作品。そしてその最終進化型が今回のdatamatics [ver.2.0] 完全版となる。第1部と第2部で分かれ、第1部にdatamatics [ver.2.0] 完全版、そして第2部は完全なる新作という構成。
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会場には途轍もなく巨大なスクリーン。そして両端に設置された巨大な音響システム。今回の公演には設計段階から池田亮司も参加するパフォーマンス集団Dumbtypeのメンバーが関わり音響や視覚効果を綿密に計画したそうです。
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いよいよ全貌を現したdatamatics [ver.2.0] 。最初から膨大なるドット、記号、文字列による映像。その圧倒的なデータ量は、2001年の作品「formula」と比べるとそのテクノロジーの進歩の差は驚くほどに一目瞭然。そして不規則ながらも実は非常に規則的なグリッチ音や電子パルス音、そして会場全体の床が振動する低音など様々な電子音が神経系を刺激する。それは不可避の体験であり、我々はまさしく池田亮司の実験体だ。
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太陽を囲む膨大な数の衛星の存在をコンピューター上に現出させ知覚化させたもの、そして既知の数式で出来た数字の羅列を形式化したもの(もしかしたら円周率の具現化?)、さらに遺伝子(またや菌のような)ミニマルの集合体を具現化したもの(パリの建築家チーム「R&Sie(n)+D」の作る映像と似ている)など、様々な映像が展開される。
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datamaticsとは、おそらく実社会で我々が知覚している「物」が全ては数式という法則によって成り立っている事を証明している作品ではないだろうか。我々が感受しているものは、そのありえない程膨大な数式や記号、データの組み合わせの上に奇跡的に存在するという事を極限的な方法論によって提示してみせているのだ。そしてこれは引いては人間の可能性の示唆でもある。datamaticsというのはそのような意図によって成立している装置とも言えるだろう。
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そしてもう一つ、今回のdatamatics [ver.2.0] 完全版において強く感じたことは、この作品が人間的感情を一切排除したデータに依拠した作品にも関わらず、その実は非常にエモーションを備えた作品として成立している事。ストーリー性を感じさせる映像、そしてクライマックスを迎えるノイズの洪水など、池田亮司という人間の感情・意思がデータの海の中に非常に顕著に表れていた事も特筆しておきたい。
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by Blacksmoker | 2008-03-18 00:15 | ライブレポート
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